2013/02/21
栗山四郎右衛門(くりやましろうえもん)
少年期 幼名:善助
慈愛にたけ思慮深い幼名:善助は、官兵衛の申し立てにより、母里太兵衛と義兄弟の契りを結んでいた。
長政を手こずらせた母里太兵衛も四郎右衛門の言葉には理屈抜きで従ったという。
筆頭家老で官兵衛が最も信頼する家臣。
官兵衛の唐皮包の鎧と合子の兜を形見として与えられるほどであった。
永禄10年(1567年)青山の戦いでは初陣で2つの首を上げた。
有岡城の戦いでは、落城時に炎の中から官兵衛を救いだした。
九州陣でも耳川戦いなど軍功は数知れず、豊前入国後は、一つ戸城を預かり国の政事を任される。
関ケ原の役では、石田三成に囚われかけた官兵衛の妻と長政の妻を大阪邸から救出。
筑前入国時に左右良城を預かり、1万5000石を拝領。隠居後は、領内に建立した円清寺で官兵衛を弔った。
寛永8年(1631年)81歳で逝去。生涯にあげた首は、57級を数えるという。
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